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精神病院 開放病棟に入院

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メンタルクリニックから精神病院へ

かかりつけのメンタルクリニックでもう限界と伝えました。

もう会社には辛くて行けないとも伝えました。

もう自分が行き着く先は精神病院の入院病棟ぐらいしかない。と心情を訴えました。

主治医は慎重に言葉を選びながら答えてくれました。

「逃げ道として入院してしまうと出て来れなくなるかも知れませんよ」

「紹介状はすぐに書きます」

診察を終えて会計を済ます時には紹介状が出来ていました。

「うつ病の治療の為、入院を要する」

東京に復職してから3年目の冬でした。

都立M沢病院は地域ではとても有名な精神病院だそうです。

広大な敷地の中に大きな病棟と散歩の出来る広い庭。もちろん庭はしっかりと壁に囲われています。

紹介状を携えて初診受付へ向かうと、とても明るい病院の中が精神病院である事を忘れさせます。

ただ、多目的トイレの扉をぶつぶつ言いながらずっと開けたり閉めたりする女性がいたりして普通の病院ではない事がそこかしこに見て取れます。

紹介状のおかげかあまりにもあっさりと入院が決まりました。

付き添いに来た家族の抵抗も受けながらですがもうここしか私の選択肢はありませんでした。

翌々日

とうとう都立M沢病院に入院する日が来ました。

来るところまで来てしまった。との落胆と自分のこころを殺しにくる忌まわしい職場と上司からの脱出への希望と入り混じった複雑な心境です。

大きな病院らしくまずは、血液検査、脳のMRI検査、上半身のCT検査と流れ作業で案内されます。

ただ、検査室前では結構待たされて2時間近くかかりました。

検査が終わりぐったりしたころ。(もうお昼になってました。)

外来診察の受付で看護師さんが明るく

「はい!じゃあ手首に認識票つけますよ。」

と言って手首に真っ白で薄いプラスチックのタグをパチンとはめました。

私のフルネームと生年月日、血液型が印字されてます。

そしてもちろん入院した日。今日の日付が印字されています。

とうとう精神病院入院患者になりました。。。。

この後は精神科開放病棟に行くだけ。

私は任意入院でしたので退院したくなれば出ていける身分になります。

閉鎖病棟だと主治医の許可が必須です。

◯ウィキペディアによると

任意入院(にんいにゅういん)は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に定められている精神障害者の入院形態の1つ。

精神保健法の昭和63年改正で明文化された入院形式。

精神科病院への入院であっても、まず本人自身のインフォームドコンセントを得ることを基本としている。

【精神科への入院】

1.自発入院 - 任意入院

2.非自発入院

  ・措置入院 / 緊急措置入院

  ・医療保護入院 / 応急入院

いよいよ開放病棟に。。。。

閉鎖病棟でないことで少し気楽でいいのかと思いましたが開放病棟に入るにも持ち物検査は厳重でした。

若い女性の看護師さんと個室に入りカバンなどの荷物と持ち物。そして服の中の持ち物検査がありました。

【取り上げられたもの】

・タバコとライター

・鏡(患者同士でケンカになった時に凶器になるとの事)

・かかりつけの精神科で出されていた薬全て(精神病薬だけでなく胃薬も全て)

私はたまたま持っていませんでしたが紐状のものもあれば取り上げるそうです

理由はお分かりだと思いますが首吊り自殺防止の為です。

時々自殺を図る方が出てしまうそうです。

意外でしたがスマートフォンは取り上げられませんでした。

但し、病棟内は絶対に撮影禁止との事。

過去の入院患者の中に他の患者さんを撮影してSNSでアップした人も居るとか。

自分が撮影されたらと思うとゾッとします。

取り上げられたものは退院するまで保管されました。

手荷物検査が終わった頃に丁度お昼ご飯の時間になっていたので、 あてがわれたベッドに荷物をとりあえずおいて患者さんと一緒に(私も入院患者さんですが)お昼ご飯を集合ホールで食べる事に。

広いホールの何処に座るべきがオロオロしました。

三々五々集まる患者さんたちの数、約15名。意外と女性も多いです。

男女一緒に食事をとるみたいです。

何となく席が決まってそうなので誰も座っていない席にそっと座りました。

「あっ!そこはダメ!っじゃないかな」

年の頃なら50歳前後の彫りの深い顔立ちの男性に注意?されました。

どうやら今は居ない誰かの指定席だったようです。

仕方なくしばらく患者さん達の座る様子を眺めていました。

ようやく皆さん着席した頃に一番後ろの四人がけテーブルにお爺さんが一人で座ってる場所を見つけてそっと座りました。

お爺さんは何もいいません。

いや、誰か見えない人とずっとおしゃべりしてました。

「ここ失礼します。」と軽く会釈しました

一瞬、お爺さんと目が合いました。

ほんの少し「うん。」というような頷きをしてくれた気がしたので、多分空席だったのでしょう。

結局、退院するまでこの席が私の定位置になりました。不思議と誰かに座られる事もありませんでした。

不思議な調和が病棟内にあるみたいです。多分、精神を病んだ方ばかりなので余計な波風を立てない為の秩序があるのだな。と妙に感心しました。

落ち着かない私をよそに大型の配膳カーゴから次々に患者さんの名前が呼ばれて食事の乗ったトレーが配られていきます。みんなし秩序正しく順番を守っています。その光景は精神病院だと言われなければ分からない程です。

私の名前も呼ばれました。手際よくお昼ご飯から給食が手配されていたみたいです。

お昼のメニューは食パン2枚とシチュー。それにサラダとヨーグルトまで付いています。そして何故かほうじ茶。

トレーを受け取るとびっくりする程重かったです。

それにトレーの半分が熱々で半分は冷え冷えでした。最近の配膳カーゴは進んでいるのですね。

おかずは温かく、バナナやサラダは冷たく保温されてました。20年前に隔離されて入院した結核病棟とは比べものになりません。

妙に感心しながらお爺さんの隣の席に戻りご飯を食べ始めました。

ところが

何だかまったく落ち着きません。

   顔や背中、そして手元と後頭部に突き刺さるように視線を感じます。

戸惑いましたが、視線のもとを辿ってみて理解しました。

看護師さん(今は女性も男性もこう呼ぶそうですね)男女半々の面々と配膳係りと思しきおばさん5〜6名のみなさんがジッと患者さんの食事中の仕種を注視しているのでした。

微妙な緊張感の中、15人ほどの患者さんたちは黙々と食べています。とても食べづらい雰囲気。と思っているのは私だけの様子です。

取り敢えず私は、バナナから食べようと皮をむき始めました。

「あれ、俺にはバナナがないよ〜。なんでぇ。」

先ほど私に座席の注意をした彫り深顔の男性が、キョロキョロしながら声をあげて看護士さんがざわつき出しました。

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