私の入院病棟は、54病棟という開放病棟でした。
入院前手荷物検査が終わり看護師さんに案内され所定のベッドにきました。
たまたまですが窓がある区画をあてがわれました。同室の患者さんは2人。4人部屋で私を含めて3人が過ごします。
一応、あいさつをしてまわりました。「どうも、お世話になります。」と軽く会釈するだけですが。。。なぜか一番古株らしい佐藤さん(仮名)という方がとても嬉しそうに話しかけてくれました。
「よく来たね。」 「たばこ吸う?」 「お風呂は予約制だから予約書いといてあげるよ。」
佐藤さんは色々と病棟内の案内をしてくれます。新しい患者が珍しいみたいです。ちょっと目の焦点があやしい感じの統合失調症の患者さんです。長期入院する時は同部屋の方との人間関係も色々あるのですが私は割と歓迎されたみたいです。
佐藤さんの他には一見目つきが険しく何かの職人さんのような風貌の木下さん(仮名)がいました。怖い人かな?と恐る恐る挨拶しましたが木下さんの発する言葉が聞き取れません。何かぜぇぜぇ言ってます。どうやらちょっとした言語障害がある方のようです。でも私に優しく微笑んでくれました。木下さんの様子はベッドもすぐそばなのでよく見ていたのですが精神疾患がある様には見えませんでした。糖尿病を患っているらしいので何かの合併症の対策で入院されているのかもしれません。
自分の荷物を片付けてようやく人心地つきました。ベッドに横になります。何となく入院生活の第一歩は問題なく進めそうです。やっと私の心が落ち着く安全地帯が見つかった。そう感じました。
立て続けの診察と面談
入院までの検査をたくさんして病棟に来てすぐ食事を取り病室での挨拶もすませジーンズ姿のままベッドに寝ころんで
「あーつかれた。」
と、うとうとして小一時間、ふいに背中を不躾にトントン叩かれて寝ぼけたまま
「ふぇい」
と返事をすると目の前に医者らしき服装の男性が立っていました。
私が怪訝な顔で表情を読み取ろうとすると私の意図を読み取った医者のような男性が
「主治医の錦(仮名)です。診察するから診察室まで来てください」
と事務的に言ってスタスタ病室から出ていきます。ぼんやりした頭のまま何となく主治医の錦とか言った人のあとを早歩きで追いかけてみました。
ナースセンターのすぐ脇に診察室1番と表示があり主治医は乱暴にドアを開けて入っていきます。
「なんだか粗暴な感じの人だなぁ。こんな人が主治医かぁ。」
ハズレくじを引いた感覚です。ハズレくじさんは先に診察室1番の椅子に座っていました。電子カルテに乱暴なキーボード操作でガチャガチャと色々入力しています。
会社でもやたらキーボードをガチャガチャやかましく入力する人がいますが私はそのノイズが大嫌いです。ハズレくじ主治医はとびきり大きなノイズでガチャガチャ入力します。
何か腹が立っている事でもあるのかも?などと想像しましたがこの人は私が退院するまでガチャガチャが収まりませんでした。
入院までのいきさつをさらっと聞かれた後何故か生まれた地域の話や学歴など細々聞き取りされました。私が芸大を卒業していることを答えるとやけにオーバーなリアクションで
「え!そーなんだぁ。へぇー!」
何なのでしょうか?精神病院に入院する患者の中では珍しいのでしょうか?
ハズレくじさんは自分が聞きたいことが尽きたのか不意に
「病棟に入ってきてみてどうですか?」
と初めて医者らしい質問をしてきました
「食事もしましたが意外と静かで驚きました。」
と私が答えると
「病棟によります。」
「閉鎖病棟とかでは色んな人がいるんですよ」
との返事。どうやら私が入った54病棟は開放病棟の中でも更に症状が落ち着いている方々が入るところだそうです。
病棟に来た時の持ち物検査でスマートフォンが取り上げられなかった理由も症状が落ち着いている人には自己管理させる方針らしいです。
はずれ主治医は診察の終わりがけに少し語気を強めていいました。
「院内禁煙です。タバコを吸ったら強制退院です。」
「病棟内で他の患者とトラブルを起こしても強制退院です。」
過去にどんなトラブルがあったか分かりませんが、ルールを守らないと病院として対処せず退院させてしまう方針らしいです。ようやく受け入れられた精神病院だと思っていたせいか、言われる通りに大人しくしておこうと思いました。
ケースワーカーさんは優しい
緊張を強いられた主治医の初診察が終わると何だか疲れてしまいました。今度こそゆっくり昼寝でもしようと自分のベッドに戻り用意していたジャージに着替えました。ちょっとリラックス出来ました。
窓から入る日射しが明るくてベッドに横になった私を優しく包みます。ようやくのんびりうとうとしました。小一時間ほど眠った気がします。女性の声が遠くで私を呼んでいる気がします。ぼんやりしながら身体を起こすとマスクをした女性がベッドの側に立っていました。
「ケースワーカーの咲山(仮名)です。面談お願い出来ますか?」
丁寧な言葉遣いと物腰の低さに好印象を持ちました。精神病院に入院すると皆さんケースワーカーさんの担当がつくみたいです。
「ナースステーションの脇に面談室があるのでそこでお話しを聞かせて頂けませんか?」
「はい。伺います。」
と返事をして一応メモ帳とペンを持ってケースワーカーさんと一緒に面談室に向かいました。
先程の診察室の更に脇に面談室と表記のある扉があります。随分と部屋があるものです。ケースワーカーさんと面談室に入りました。結構広い部屋です奥はナースステーションとも繋がっているようで奥に看護師が忙しそうにパタパタと歩いてました。
「メモ帳とペンをずっとお持ちになるなんてしっかりされていますね。」
唐突に褒められて何だか照れくさい気がしました。
「今回担当させて頂くケースワーカーの咲山です。入院して不安な事があればなんでも話してくださいね」
「今回、入院に至った経緯を宜しければ教えて頂けませんか?」
ケースワーカーさんはあくまで低姿勢で話をしてくれます。信用して良さそうな人柄です。
「実は、会社の社長からのパワハラがキツくてこうなってしまいました」
私は、会社で受けた仕打ちや今までの私の病歴について話してみました。不思議と初対面の相手にいろいろ話を整理して話せた気がします。
ケースワーカーとしてベテランなのか咲山さんは心からの同情の表情のまま私の受けたパワハラの数々についての話に聞き入ってくれました。
売上も作らずに勝手に土日に休むな!と社長に言われた話のあたりでは同情ではなく恐怖の表情を浮かべていました。このような形にしろ自分の心情をここまで親身に聞いてもらえたのは初めてのような気がしました。不思議な優しさに溢れたケースワーカーさんのようです。
ひと通り私は話し終えました。咲山さんは言葉に力を込めてこう言ってくれました。
「休みましょう。とにかく今は心も身体もゆっくり休みましょう」
不思議な温かさを持った言葉を聞いて、やっと心から休める。そう感じました。