こんにちはアポロです。
上司からのパワハラ、報復人事と左遷などが原因でうつ病になり
6ヵ月休職して復職。
精神病院に1ヵ月入院してまた復職。
とメンタルが上げ下げしながら何とか会社員を続けています。
そんな私が今までの辛さや悩みに遭遇した経験を少しずつ吐き出していきます。
うつ病やパニック障害で辛い日々を送っている方の参考になれば幸いです。
日々の様々な気持ちをノートに書き出していた時についハマった文房具の楽しみについても綴ってみたいと思います。
【初めての精神科 受診】
かれこれ20年近く前になります。
ある日を境に咳き込むと血が溢れる様になりました。
昔の時代劇で見るようなゲホゲホすると手のひらに真っ赤な血が溢れてくるというやつです。
結核でした。
病院に行った時には結構進行していてすぐに強制隔離となりました。
4ヵ月隔離されていました。
病院内での隔離はまるで浮世離れした生活です。
当時は結核が流行っていて隔離病棟内は老人と若者が半々でいっぱいになっていました。
やっとの思いで退院した時には何か自分の身体の周りに薄い膜が出来たようで会社に戻っても現実感がまるでありませんでした。
隔離病棟生活では毎朝病院の売店に日経新聞を買いに行き隅々まで読む事が数少ない楽しみだったのですが、
退院するとまるで読む気が起きません。
長い文章を読むのがとても苦痛になってしまいました。
食欲もグンと落ちました。
お昼ご飯に弁当を買っても半分も食べられません。
なんだか喉の奥にピンポン玉が入っているみたいです。
心の奥のほうがどんより沈み込んだ感じです。
もう、お気付きかと思いますが退院を境にかなりの抑うつ状態にはまってしまっていたのです。
当時は何故か判りませんでした。
そしてある朝、通勤電車に乗ると…。
学研都市線の快速電車の中で心臓がバクッとなりました。
初めての経験で何とも不安な気持ちになりました。
翌日。また学研都市線の快速電車。
今度は、心臓がバクバクバクッと凄い勢いで脈動しだしました。
おまけに呼吸が出来ません。
気が遠くなって死んでしまいそうです。
思わず途中駅で降りてしまいました。
もう何がなにやら解らずとにかく電車に乗るのが怖くなりました。
この日以降いつでも最寄駅に降りる事が出来る各駅停車しか乗れなくなりました
後で判りましたが、典型的な「パニック障害」の発作が発症したのでした。
当時は今ほどネットも発達していなかったので頭か精神がおかしくなったのだと思いました。
しばらく各駅停車で悪戦苦闘しながら会社に通っていたのですが限界を感じて何処かの病院に行く決心をしました。
当時の数少ないネット情報で、とある精神科兼心療内科を見つけて予約しました。
そして診察当日
今でもこの日の事は忘れられません。
をを初診ですから問診票に困っている症状を記入しました。
1.快速電車に乗ると心臓がバクバクして呼吸が出来なくなります
2.快速電車は怖くなって各駅停車にしか乗れません
3.何か喉の奥が突っかかる感じがしてお弁当など食事が普通量の半分も食べられません
4.新聞や長い文章が読むことがとても苦痛です
5.四六時中吐き気がして苦しいです
6.頭の中がどんより霞がかかったようで沈んでしまってます
診察して頂いた平山先生は私の書いた問診票を見て
「つらかったよね。快速電車じゃすぐに降りれなくて怖かったよね。」
「よく判るよ。」
「慢性的なうつ病になってるよ」
「電車でパニックになっても大丈夫なように頓服薬を3段階に分けて処方してあげるよ。」
そう言って
1.電車で不安になったら飲む薬
2.薬を飲んでも効かなかったら飲む薬
3.もうダメだと思ったら飲む薬
と分けて処方してくれました。
ワイパックスとソラナックスが中心の処方でした
ドグマチールも毎日飲む様に処方してくれました。
薬の処方が丁寧だった事も救われましたが何よりも先生が親身に話を聞いて共感してくれた事が何にも増して救いになりました。
転勤で引越ししてしまい通院できなくなりましたが今に至るまで平山先生の診察が一番心に染みました。
おかげでパニック障害の発作もある程度コントロール出来るようになって電車にも恐る恐る乗れる様になりました。
後の問題は「慢性的なうつ病」というものですがワイパックスやソラナックスの効果の様にスパッと聞く薬は無いのであれこれ飲んでみて様子を見て又、別の薬を試してみて。
という作業を繰り返すことになりました。
平山先生にお世話になったのは3年間。
その後東京に転勤となりましたが以後中々良い先生には出会えなかったです。